あとがき
「はじめに」で示した三つの興味をやや強引に絡めつつも、コンピュータ科学史で用いられてきた「スパゲッティプログラム」という汚名を返上すべく研究を進めてきたが、 それ果たすことができただろうか。こればかりは、提案する可食化や枠組みの普及を待つほかないが、ひとまず、自身の考えを主張できたことは評価に値するだろうと考えている。
思い返せば、私はいつも受動的で、何事も誰かに指示されなければ行動に移せなかったものだが、この研究を通して、そんな自分自身の新たな可能性を見出せたように思う。 まさか、スパゲッティを卒業研究の題材にするなど思ってもみなかったのだから。 時間が掛かってしまうかもしれない、思い至らないこともあるかもしれない、それでも「できるかもしれない」という気持ちを常に心の隅に置いていたために、この成果物を収めることができたのだと思う。
こうして満足のゆく学生生活を送ることができ、とても幸せに感じている。
さて、完全な蛇足になるが、論旨の一「メトリクスツールの枠組みの提案」に関連して、一つ述べておきたいことがある。やや差し出がましい話になってしまうが、ご容赦を賜りたい。 従来のメトリクスツールはあらゆる情報を詰め込んでいる、と先の章で説明したが、そうなることも無理はない。 あらゆる立場のユーザに対応しようとすれば、その全てのユーザが求める機能を詰め込めこまねばならないのだから。 しかし、どうしてユーザ自身でもない開発者が、いつも頭を悩ませなければならないのか。そう疑問に思ったことがある。
餅は餅屋
何事もその道の専門家に頼るべし、という意味のことわざだが、実は提案した枠組みはこの言葉をライトモチーフにして構想したものである。 「どのような指標値を必要としているのか」は、開発者ではなくユーザ自身の知るところであって、その本人が考えるべきことではないのか。 そう考えて、ユーザ自身がメトリクスの構造を再現できるような仕組みづくりを行なったのだ。
「人にやさしいソフトウェア」とは何か。人を怠けさせるためのソフトウェアのことだろうか。否。人が持ち合わせる本来の能力を存分に活かせるように設計された「ソフトウェア」を指すべきではないか。 ユーザ自身が頭で考えて、その結果として便利な生活を実現する。こうした「考えることで得をする」という構造が必要だ。 間違っても「何もしなくとも得をする」といった幻想や、独りよがりの「やさしさ」など持ち出すべきではない。さもなくば、また私のように「受動的な人間」が生まれることになろう。
無論、ソフトウェアに限った話ではなく、あらゆる製品にも同じ事が言えるはずである。 上辺だけではなく、真の意味での「豊かな生活」を手に入れようとするなら、目を背けず一度考えてみていただきたい。
最後に、不遜な言葉を書き連ねたことについてお詫び申し上げ、あとがきの言葉に代えようと思う。