修正日:2013年02月21日(作成日:2012年12月15日)


おわりに

あとがき

 「はじめに」で示した三つの興味をやや強引に絡めつつも、コンピュータ科学史で用いられてきた「スパゲッティプログラム」という汚名を返上すべく研究を進めてきたが、 それ果たすことができただろうか。こればかりは、提案する可食化や枠組みの普及を待つほかないが、ひとまず、自身の考えを主張できたことは評価に値するだろうと考えている。

 思い返せば、私はいつも受動的で、何事も誰かに指示されなければ行動に移せなかったものだが、この研究を通して、そんな自分自身の新たな可能性を見出せたように思う。 まさか、スパゲッティを卒業研究の題材にするなど思ってもみなかったのだから。 時間が掛かってしまうかもしれない、思い至らないこともあるかもしれない、それでも「できるかもしれない」という気持ちを常に心の隅に置いていたために、この成果物を収めることができたのだと思う。

 こうして満足のゆく学生生活を送ることができ、とても幸せに感じている。

 さて、完全な蛇足になるが、論旨の一「メトリクスツールの枠組みの提案」に関連して、一つ述べておきたいことがある。やや差し出がましい話になってしまうが、ご容赦を賜りたい。 従来のメトリクスツールはあらゆる情報を詰め込んでいる、と先の章で説明したが、そうなることも無理はない。 あらゆる立場のユーザに対応しようとすれば、その全てのユーザが求める機能を詰め込めこまねばならないのだから。 しかし、どうしてユーザ自身でもない開発者が、いつも頭を悩ませなければならないのか。そう疑問に思ったことがある。

餅は餅屋

 何事もその道の専門家に頼るべし、という意味のことわざだが、実は提案した枠組みはこの言葉をライトモチーフにして構想したものである。 「どのような指標値を必要としているのか」は、開発者ではなくユーザ自身の知るところであって、その本人が考えるべきことではないのか。 そう考えて、ユーザ自身がメトリクスの構造を再現できるような仕組みづくりを行なったのだ。

 「人にやさしいソフトウェア」とは何か。人を怠けさせるためのソフトウェアのことだろうか。否。人が持ち合わせる本来の能力を存分に活かせるように設計された「ソフトウェア」を指すべきではないか。 ユーザ自身が頭で考えて、その結果として便利な生活を実現する。こうした「考えることで得をする」という構造が必要だ。 間違っても「何もしなくとも得をする」といった幻想や、独りよがりの「やさしさ」など持ち出すべきではない。さもなくば、また私のように「受動的な人間」が生まれることになろう。

 無論、ソフトウェアに限った話ではなく、あらゆる製品にも同じ事が言えるはずである。 上辺だけではなく、真の意味での「豊かな生活」を手に入れようとするなら、目を背けず一度考えてみていただきたい。

 最後に、不遜な言葉を書き連ねたことについてお詫び申し上げ、あとがきの言葉に代えようと思う。

謝辞

 本研究の遂行にあたり、実に多くの方々からご支援を賜った。 指導教官の青木 淳教授には、研究のことに限らず広範囲に渡ってご指南を頂戴し、目標を見失いかけていた人生に鋭気を取り戻すことができた。 先輩の水野 信さんには、たくさんの良い実例を見せていただき、研究へのモチベーションを維持することができた。 また、同輩の青木 優知さんには、いつも的確な助言を呈してもらい、研究活動というドライブを安全に進めることができた。 御三方には特に深謝を申し上げたい。

 そして、長時間に渡る評価実験に付き合ってくださった同じく青木研究室の皆様、またお忙しい中アンケート調査にご協力くださった京都産業大学の皆様とSmalltalk勉強会@京都の皆様、 プログラミングの演習科目で拵えたプログラム一式を惜しみなく提供してくれた二人の友人に対して、感謝の意を示したい。 殊に、オムロン株式会社の濱崎 治さんには、実装に必要となるDLLCCという仕組みを懇切にご教示いただいた。記名により改めてその謝意を表したい。

 研究を名目に身勝手な振る舞いを繰り返し、家族には常に迷惑を掛けてきた。その謝罪とともに、いつも見守っていてくれたことに感謝したい。ありがとう。

 手に本を取ると、どうしても「はじめに」から一字一句飛ばさずに読もうとする癖がある。 おかげで本を最後まで読めた例など数えるほどしかないのだが、その分、その著者が記した謝辞を何度も読むものだから印象に残っている。 よくあれほどの人名を挙げて長々と書けるものだ、などと感じていたが、ここに来てようやく、その著者らの気持ちを理解することができた。 大袈裟かもしれないが改めて、私がここに生きることを支えてくださった全ての皆様に心から感謝の意を申し上げたい。