何某日和

「カメラ」のち「ハンダゴテ」ところにより「プログラミング」 ── そんな私“かめきち”のウェブサイト

日誌

目次

 自身をバージョン管理できれば良いのですが、そうもゆかず。気の向くまま筆走るまま、現在の自分を外在化する、その練習を兼ねて日々の思索や師からの言葉などを記録しておきます。

2015年01月

No.37 [2015.01.24] 「目的・目標・手段」と「実現可能性」

 ここ数日、ウェブ上に公開されている後輩方の論文を(勝手に)査読していました。ちょうど二年前の自分の姿を重ねて懐かしんだり、私も頑張らねば!と元気を貰ったり。 そして今日、約半年ぶりのウェブサイト更新にあたって前回の日誌を読んでみました。自身の病み具合に退きました。。。後輩方から勇気を貰っておきながら情けないったら。

 自虐的に生きたって誰も何も得しません。一度きりの人生、楽しんでいきましょう!


 さて、実を言うと、今週はインフルエンザ療養のため会社からお暇をいただいていました。 自宅療養中は、これまでに溜め込んでいたタスクを片付けたり、それと並行して、某リズムゲームで某キャラクターをゲットするため、ポイント稼ぎに奔走していたのでした。
ポイント稼ぎ ── この繰り返し作業の中で、一つ感じたことがあります。

この「集中力」と「忍耐力」はどこから湧いて出たんだ...?

 私め、集中力と忍耐力は人よりも劣る自信がありました。何をやっても直ぐに邪念に襲われ、他のことをやり始めるし...(苦笑)
なので、ポイント稼ぎとして「5時間連続リズムゲーム×2日」をやりきるとは思いませんでした。 一体どうしてそんなことができてしまったのでしょう。 (※好きこそものの...(略) と言えば簡単ですが、実にならないので今回は触れないでおきます。)

  1. [目的] 目的が定まっていること
  2. [目標] 具体的な数値目標になっていること
  3. [手段] 実現可能なレベルにまで手段を細分化できていること

 要はこの3点ができているか否か、だと思います。今回の例で言えば、

  1. [目的] SR花陽をGETする
  2. [目標] ライブで25000ポイント稼ぐ
  3. [手段] 1ライブで約300ポイント稼げたので、約100回のライブが必要。イベント期間が10日間なので1日10回ライブする。1回ライブで5〜6分、つまり1日60分。→これならできる!(実現可能) と判断

(実現可能と判断する基準はともかく)計画を具体的にすることが重要で、それには「1ライブで約300ポイント稼げた」という実績が必要だったのです。 どんなことも最初はまず「感覚掴み」を行い、掴んだ感覚(1試行あたりのコスト)を基に全体の見積もりを行うのですね。

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 で、実際にやってみると穴があったりもします。ライブを開催するとLPを消費し、不足するとライブできない、など。 こうした問題が起きた時には、起きた時に改めて打開策を考えて計算(見積もり)を行います。ソフトウェア開発と同じく ドライブ(進みながら微調整) していくのですね。[1]

ライブ開催に必要なLPが不足するため石で回復する必要がある。石の在庫は約90個ある。1個でライブ2回分は回復できるから、単純計算で50個、問題なし!

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 ついでに加えるなら、

  • 適切な(=良い塩梅の)マイルストーンが設定されている → レベル制度や報酬制度など
  • 成果がすぐに可視化される → ポイントゲージが貯まる/装飾文字「FULL COMBO!!」が表示されるなど

といったことも長続きさせるポイントです。いやぁ、実にうまく作られたゲームですね!(そうやって石を買わせるのね...)


 とても平和な話にしてしまいましたが、現場は少し深刻です。

 何の実績もないまま見積もるが故にプロジェクトの計画が破綻するのです。 手段を変える時は、その手段の確立と、その手段による実績がわかって初めて計画が立ちます。が、実際は手段検討前に見積もりを要求されます。 求められることと現場ができることとのギャップ。これを無視する限りプロジェクトが上手く回るはずなどありません。 ...という愚痴は、現場しか知らないからこそ言えるのかもしれませんが。(上には上の苦悩が。)
 手段確立も実績作りもプロジェクト内の一作業として入れる必要がありますが、その見積もりが困難を極めます。 存在するか否かもわからない手段の確立に「何時間で確立できる?」と問われても、現場は意味のある数値を答えられず、されど上層部はその数値を出さないと全体の計画が立てられず...。 「見積もれないこと」や「失敗すること」自体を堂々と計画に組み込める文化にしない限り(=現実離れした計画を立てる限り)、昨今の混沌(デスマーチ)から脱却するのは難しいと思うのです。

プロジェクト計画

 幅のわからないものを計画に入れたら「計画」にならない、とは思うのですが、入れなくちゃダメなのです、どうしたものでしょう...。
そして、自分自身がプロジェクトを計画する立場になった時、この問題を踏まえることができるでしょうか。 人間としての文化的な生活を守りたい、けれど競合他社に仕事を奪われないためには身を絞る他なく、どうして人類はこんなに自虐的な生き方を、、、むふぅ...


[1] 特別研究II 座学 [2012.07.11] - 短期リリース(12個の実践項目)

2014年04月

No.36 [2014.04.01] 季節感のない一年

 自宅の中で写真撮影をしていました。自分の机、寝床、玄関、洗面所、台所...何とはないいつもの光景、暫く戻らないから。
最後のお風呂、最後の夕食、最後の団欒、最後のおやすみ。恥ずかしかったけど家族に手紙を書きました。そんな3月27日。明日は上京の日。

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 空気に春がにじむ頃、厚手のコートでは汗ばむので、薄手の上着に衣替えしました。
8時25分の電車。心のない時はただ目を瞑り、心のある時は慣れない曲を聴いたりします。ある日はフジファクリックを。
車内の立ち位置。階段に近いドア。人混みの中、誰の顔も見ないまま乗り換える大阪駅。危ないので、iPodはポケットに。

上京の切符

 ポケットに紙切れ。1年前のあの日、上京の切符。
1年前、何を感じ考えただろう。大阪に勤めるなんて考えていなかったろう。未来の可能性にワクワクしていただろう...

 開店前のTSUTAYA。渡れない信号。あの人の背中。右に広がる空。
元気のない挨拶。社員証には1年前の写真。着慣れたスーツ。変わってしまった自分。そして、変わらなかった自分。
今日は3月27日。明日は上京した日。

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 実家にて独りで年を越し、豆をまいたかと訊かれて節分を知り、あれほど葛藤したはずの三月を思い返すこともなく、
知らぬ間に3月31日がやってきて、もう4月1日です。四季の国に生きながら季節感のないこと。
きっと知らないうちに桜は散るのでしょう。

 私は社会人2年目へ押し出されたのでした。どれほど情けなくとも書き留めておきたくて徒然。きっとこれが当たり前になるから。

 

2014年01月

No.35 [2014.01.02] 2013を踏み潰さず

 あけましておめでとうございます。せっかく撮った写真を並べながら2013年を振り返ろうと思います。


 1月

研究を名目に買い揃えたパスタソース パスタの試食実験 ドリップコーヒー(タッパコーヒー) パスタ

 パスタを食べながら、コーヒーを淹れながら、被験者実験と論文執筆に明け暮れていました。ちょっとのんびりしすぎました。 時間が迫らないとできませんでした。時間が迫ればできるのですね。師は、寝食を正しなさい(時間を味方につけなさい)と、あれほど...[1]


 2月

論文執筆 提出する論文 パスタコレクション(空袋) 九州カブ旅に向けて

 論文提出と研究発表を完了し、大学生としての研究活動の区切りとしました。 研究テーマを6月中旬に閃いてから8ヶ月、何かと迷走の多い研究活動でしたが、発想力に乏しいと思い込んでいた自分を変えることができました。 自分もやればできるんだ... 大学で学んだ最も大切なことの1つです。そして、学生生活の終焉に向けて、少しずつ焦りが見え始めます。残された時間で何ができるだろう、と。


 3月

九州カブ野宿旅 経過点回帰(鴨沂高校) あずきちゃん ── どうか安らかに 友人たちと食事@キャピタル東洋亭 旧友たちと食事@八剣伝 学生を卒業して(京都産業大学 卒業式) 家族で食事@南山 上京

 本当は旅になんて出たくありませんでした。これから会えなくなる人たちと、もっと長く一緒に過ごしたかったから。 でも、それ以上に、今のままの自分でいることの方がもっと嫌でした。葛藤の末に「知らない自分に会いたい」という一心で、九州への旅路を選びます。自分の家族のルーツを辿る旅。私は正しい選択をしたと思っています。 [2]
 その後、無意識に自分のルーツを辿っていたのかもしれません。現在建て替えの話が進んでいる母校(京都府立鴨沂高等学校)に訪問していました。 簡単に「残せ」と言うだけでは無責任で嫌なのですが、あの鴨沂の音(木造床/階段が軋む音)も、鴨沂の匂いも、言葉で表せないそれら(歴史)を失いたくありません。あの頃の感情を思い出すための大切な情報なのです。写真だけでは足りないのです...。
 出会うための別れと思いながらも、物寂しく、また不安で。ひょっとすると関西には戻らないかもしれない... この生まれ育った場所を初めて離れる... あの人と会えるのはあと何回だろう...。 いろんな不安を抱えた3月でしたが、友人たちや家族にどれほど励まされたことか。人に恵まれた人生であることを改めて痛感しながら私は、28日に上京したのでした。


 4月

はじめての洗濯 酒飲み研修生 付箋に目標を書いていた時期 コーヒーの勉強 会社でもパスタ

 知らない土地で初めての独り暮らし(寮生活)。この頃はいつも劣等感に溢れていました。こんなにコミュニケーションが取れないのか、こんなに技術力がなかったのか、と絶望しました。 もとい、ようやく自分を知ったとも言えましょう。井の中の私は池を知りました。


 5月

アサリの酒蒸し KALDIでソーセージ ソース@寮 ミニチュアのような大都会

 カメラという趣味に助けられ、少しは馴染めるようになりました。でも、満員電車に乗るうちに、体がぶつかっても気にならなくなりました。視界に人間が映らなくなりました。 一体どうして、人がこんなにあるの?


 6月

寮食のご飯 励ましの会 東京駅八重洲口 友人からの万年筆 引っ越しの準備

 それなりの覚悟をして上京したつもりでしたが、関西へ出戻ることに。3月に葛藤があった分、意気が減退してしまいました。関西へ向かう新幹線内で込み上げた やるせなさ を思い出します。 でも、伽藍を築きやすい私には良かったのかもしれません。離れるからこそ、その存在のありがたみを知ることができました。学ばせてくれた友と大地に感謝しつつバザールのように。


 7月

関西に出戻り(新大阪駅) 尼崎の社宅 生活必需品 アイロン 料理

 良くも悪くも地元関西でSEのたまご。寮生活ではない独り暮らし。案外、掃除洗濯炊事は何とかなるものでした。(質を求めなければ)


 8月

大文字 舟山

 夏の京都、大文字の送り火。もう見ないかな、と思っていましたが。愚かなことをした去年の雪辱は果たせました。


 9月

餃子 からあげ チキン たこ焼き どん兵衛

 この月は仕事の波が来て、それ以外の記憶といえば、体調を崩して風邪をこじらせたことくらいです。がむしゃらに働くことはできませんでした。ある程度の休息を入れないと仕事へのモチベーションを失います。


 10月

Canon EOS 5D Mark III だんじりを見る少女 へべれけ 誕生日のスターバックス 付箋だらけの机

 空っぽの日々をやり過ごしていた頃でした。今年綱長を務めるという同僚を写真に収めるため、大阪府貝塚市のだんじりへ。みんなで一丸となって駆ける、そんな姿を見て、ただ幸せになりました。こんなことをしたい、と思いました。
 3ヶ月ぶりの本社研修の後、友人と飲みに行きました。私は就活の時に自己分析をまともにしていなかった、ということに気付かされました。恥ずかしかった。けど、感情に基づいて自己分析するキッカケをもらいました。 まだボヤッとしているけれど、軸らしいものを見つけることができたような気がします。私は、私の生きた証を残したい。
 誕生日、休暇を取りました。普段はしない散歩をして、普段は入らないお店に立ち寄って、玩具コーナーのトミカやプラレール、値札なんて見たことなかったけど、こんな値段するんだ... 視点が変わった... でも、それだけじゃない何かも変わった... 昔はもっとときめいていた。感情に満ち溢れていた。もっと痛みを帯びていた。人間として生きる価値を失ってしまいました。


 11月

何処へゆけばいい? 時間を味方につける(ストップウォッチ) 時間を味方につける(タイマー) 小3からの腕時計 案内板@尼崎

 失っていたものに気付いて、自分の中の感情を探して、今の自分のままでは居たくないと、ただただ焦っていました。混沌を迷走していました。自分はどこだ... 自分は何だ...


 12月

はじめてのひとりカラオケ 夕凪の街 桜の国 ハツカネズミの時間 電脳コイル

 同じ日々を繰り返していることに嫌気が差して、新しいことにチャレンジした時でした。弱いけれど感じたことのない気持ちになったり、ちょっとワクワクしたりしました。 これかもしれない。変化するところに感情が生まれるのだ、と知って、先の日誌のような状況になったのでした。
 数カ月前まで素通りだったけれど、少しだけ、歌われた言葉が頭に入るようになりました。ギターの歪みも、ベースの包容感も、ドラムの躍動感も大事だけど、なんでもっと早く気付かなかったんだろう、でも気付けて良かった、そう思いました。


 変な価値観でも、話が合わなくても、そこにいる自分が自分なら構わない。誤魔化せない感情を大事にしなきゃ、ロボットじゃないんだから。

 今年が私にとって痛みのある一年になりますように。


[1] プログラマは「書く」より「読む」:週刊BCN「視点」 http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~atsushi/Links/bcn/BCN_ShiTen_20090316.html (2014.01.02最終閲覧)

[2] やさしくなりたい(斉藤和義) - 九州カブ野宿旅のテーマ曲にしていました。みいはあだったけど、入り口にするなら悪くはなかったかな。

2013年12月

No.34 [2013.12.21] 波

 起きて食べて働いて、食べて揺られて寝る ──── 同じ日々を繰り返し、知らない間に師走も末。次に気づく頃、私は何歳になっていることやら。

 社会人と呼ばれる少し前(九州カブ旅の前後)から、或いはもっと前から、残された時間の少なさを知って焦る日々が続いています。 その度に、憧れのみが先行して、ああしたい、こうしたい、と手を動かそうとするのですが、如何せん一度手が止まると次に繋がりません。 気合の入れ方でどうにかなるだろうなんて思っていましたが、愚かでした。できないからには理由があります。

 ものづくりが好きな私は、とにかく何かをアウトプットしたくてなりませんでした。何かをインプットする時間など勿体無い、私はアウトプットしたいんだ、と足掻きました。見事に愚かでした。

小説を読まずに小説家になった人はいない。[1]

 インプットを避けている私がアウトプットできるはずもありません。言葉では理解しつつも行解には至らず。むむむ...。
こんな私の現状を打開すべく、最近ようやくインプットを始めることにしました。 見知らぬ漫画を読んだり、音楽を聴いたり、ひとりカラオケに行ったり、服を見に行ったり...。 最近乏しさを覚えていた「世界観」や「感情」を見つけられたらと思って、慣れないことにチャレンジしています。 やっていることがバラバラで、頭の中も全く整理がついていませんが、インプットしてみると(感情や考えなど、何もない心から絞り出す訳ではなく)より自然にアウトプットできる(湧く)ものだと知りました。 これまでいろんな世界を薦めてくださった方々に、ただただ申し訳なく...。遅ればせながら、挽回してゆきます。

# 現に、このサイトも放ったらかしのものばかり。インプットや変換を怠った現れ。とても恥ずかしい...。


 余談(備忘録)です。

入力 → 変換 → 出力 = 入力 → 変換 → 出力 = 入力 → 変換 → 出力 = 入力 ...

 手続き型に慣れると、どうしても変数に確保して安心してしまうのかもしれませんね。 ゆえに(「まだいいや」と思って)出力を入力に繋げられず、変数の中で腐らかせてしまう、悪い癖です。

 価値。繋がり。変化すること。波。プロジェクトの波。平日と休日。関数プログラミング。ペトリネット。SynapseScript。


[1] プログラマは「書く」より「読む」:週刊BCN「視点」 http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~atsushi/Links/bcn/BCN_ShiTen_20090316.html (2013.12.21最終閲覧)

2013年09月

No.33 [2013.09.16] 再掲「ひとりじゃないって」

 今日は、また己の至らなさを思い知った。

 大学であれほど「ひとりじゃないって」と耳にしておきながら、口にしておきながら、独りよがりな仕事の進め方をしてしまい、周囲の方に迷惑を掛けてしまった。 プロジェクトは、独りでやるもんじゃない。二つの意味で「頼れる人」でありたい。人を頼り、人に頼られる、そんな人間がシステムエンジニア(社会人)にふさわしかろう。

 新人君と呼ばれ学べるうちが華。どんどん失敗やらかして大きくなろうぞ。

2013年08月

No.32 [2013.08.25] 青は藍より出て藍より青し

 実家から米5kg・サラダ油1L・ラスク3種類が届いた。平日の帰宅時間では宅急便を迎えることもできず、2日越しの受け取りになったが、A4コピー用紙に書かれたメッセージは温かいままだった。 お米ありがとう、ラスクすごく美味しかったよ、今日は軟骨の唐揚作るんだ ── 先週会ったばかりだけど一言くらい、と思って電話を手に取った。

 京都でも雨が降っていて、24時間テレビが放送されていて、地蔵盆は先週末に行なわれて、、、 お米とラスクと軟骨の話含め他愛もないことばかりだったけど、そんな電話口で、母は唐突に「あんたには教えられてばっかりや」と。 いきなりなんのこっちゃ...と妙な気持ちになった。これまで教わってばかりだったから。

「教わる者」が「教える者」を超えて初めて、教育の成果が得られたといえる。

 いつか、師がこんなことを仰っていた。出藍の誉れ。ひょっとすると、母はそんな気持ちだったのかもしれない。 まだまだ淡いが、ここまで青く育ててくれた母に感謝している。

 次の藍となるため学ぶこと休むべからず。働けパスタ小僧。

No.31 [2013.08.16] 「時間を味方につける」

 大学生時代、師に「時間を味方につけなさい」と幾度も言われたものです。 当時はそのまま「(物事に取り組むための)時間を手に入れなさい」という意味で捉えていましたが、もう少し違った意味でも捉えられる?...と思ったので書き留めておきます。

時間を味方につけなさい

 会社で働いている今はスケジュール管理が当たり前ですが、振り返ってみると、研究していた頃はタスク管理に留まっていたものです。 タスク管理では、やるべきことを把握できますが、そこには「時間(期限)」という概念が入っていませんでした。ゆえに、いつまでも取り組まず後回し...。 そこで、スケジュール管理では、どのタスクをどの順番でいつまでに取り組むかを明らかにします。

 つまり、物事に取り組むにあたって「時間」という概念を上手く利用すべし、という意味だったのだなと感じたのです。 「タスク全てを完了する」という漠然とした目標では体が動きません。「このタスクは◯時までに完了する」などと目標を詳細化して初めて体が動きます。 とても当たり前のことなのかもしれませんが、今さらながら気付いたので、その記念に書き留めておきます。

 ※某テレビ番組の出演者も「時間を味方につける」と言っていましたが、そこでは「時間経過による変化量が情報源になる」という意味で用いられていました。捉え方色々ですね。

No.30 [2013.08.15] 新生社会人の三ヶ月

 新生社会人として三ヶ月を東京で過ごし、何だかんだで地元に戻ってきた。短かったような長かったような、上京〜研修三ヶ月を簡単に綴っておきたい。

 三ヶ月後はどこに配属されるのだろう ─── 先が見えないままの旅立ちには、相応の覚悟を要した。 遠隔コミュニケーションが容易い時代であっても、なぜか「直接会うこと」を重んじる自分がいて、家族とはあと何度会えるだろう、あの人とはあとどれほどの言葉を交わせるだろう、と心中で幾度も。 おかげで九州へ旅に出る前も「残り少ない時間を旅に使って良いのか」と悩まされたものだ。(今思えば、正しい選択だった。) そんな葛藤がおよそ一ヶ月続いたが、旧友の励ましを得て、出発の頃には不安も消えていた。まったく、人に恵まれた人生である。

 変わらない街並みを車窓に見ながら京都を後にした。数秒で数百人とすれ違う新幹線、制御できない速度、かつて師が仰っていた戸惑いを再現しながら東へ東へ。 再現に集中していたら眠気が襲い、一睡したと思えば既に横浜。しかも、酔った。東京駅に降り立つやいなや待合室で酔い覚まし。残念な東京デビューであった。。。

 少し恥ずかしいのだが、この歳で初めて親元を離れ生活する。食事付き社員寮生活とは言え、慣れない仕事、慣れない土地、掃除洗濯、早寝早起き... 心配事は尽きなかった。 が、ものの数日で順応して居心地も良くなり、三ヶ月通して快適な社員寮生活を送ることができた。
 社内での取り組みを具体的に口外することはできないが、三ヶ月の研修を通して社会人基礎力やSEとしての技術力の向上に努めてきた。 つらく感じることは沢山あったが、それ以上に学びがあり、良き出会いもあり。 取り組んだことを思えば長い三ヶ月に感じ、濃密さを思えば短い三ヶ月に感じ、実に不思議な三ヶ月であった。

 本当に取り留めないな。。。(五ヶ月ぶりの更新がコレでは酷いなぁ...)

2013年03月

No.29 [2013.03.13] 文脈に踊れ ── 共時から通時へ

 過去も、未来も、その流れの中の今を垣間見て、その大切さを想う。 巡礼も、就活も、その流れの中の自分を垣間見て、その大切さを想う。 共時の視点から通時の視点に遷り、そこで得るもの。再帰の原点を定めて、自分の目指すべき絶対的価値観に向かって日々近似していく。 それが「自己実現の欲求」に相当する生き方ではないか。(他にも形は様々あろう)

 他人の芝を見ては軸をふらつかせて生きてきたが、それではいつまでも相対的な価値観でしかない。もういい加減、どこかに原点を据えようではないか。 自尊(共時の視点)に生きるのは大学時代で終わらせたい。自己実現(通時の視点)に進みたい。その時の他人を見るのではない。以前の、そしてこれからの自分を見るのだ。

 ...そんなことを、友人の作品から学ばせてもらったのだった。言葉を連ねても伝わらないものが、その絵から伝わってくる。これが「芸術」なのかな。 悔しいけども、今は決して敵わない。しかし、きっと自分にできないことではないはずだ。私も、彼も、師も、ソクラテスも、みな人間ゆえ。

 東日本大震災から二年、その黙祷を経て感じたこと。「技」と「心」を融合できる「匠」でなければならない、ということ。 故郷に帰りたい、昔のように暮らしたい ── テレビは、復興への強い想いを伝えている。「心」がある。しかし、具体的な復興を必ずしも実現できているだろうか。「技」がない。 その逆もまた。「技」を持てど、「心」が至らない。さらに、両者を持てど、相互に作用していない。

 震災のことに限らず、様々な場面で言えること。その時々(その瞬間、共時)の清き心や鋭い技は大切だが、融合(継続、行動、通時)によって初めて形になるということ。 共時に踊らされず、通時に踊ろう。肝に銘じるだけでなく、学んだ技を活かして実を育みたい。

 彷徨いながらも大学へ通ったことは良い選択であった。「技」に執着していた私に「心」を、そしてその「融合」の大切さを示してくださった全ての方々に感謝を申し上げたい。

No.28 [2013.03.09] さらば学生生活

 慣れきった学生生活もあと少しで、未知の社会人生活がやってきてしまう。どうしよう...

 不安に潰される、そんな夢を見る。ただ、夢から醒めても不安は拭えない。 背水の陣から京都に戻り、残り少ない家族団欒を噛み締めながら、学生生活の締めと新生活への準備にかかるこの頃。 光と影法師。とても複雑な気持ちで、おぼつかない。 殊に何か書くこともないけれど、今のこの心持ちをスナップしておかねばと思って、日誌を書き認めることにした。 とりあえず、最近取り組んだ内定者教育で学んだことを綴っておくことにする。マズローの欲求五段階説と呼ぶらしい。 上ほど本能的(基本的)な欲求で、下ほど精神的に高度な欲求だとか。

  • 生理的欲求
  • 安定の欲求
  • 親和の欲求
  • 自尊の欲求
  • 自己実現の欲求

 ... 就寝と起床 → お墓参り → 高校の学び舎 → 帰宅 ...

 ひょっとして家族で参るのは最後になるかもしれない。今日は3月9日。11年を経て、同じ場所で巣立ちを宣言してきた。 当時、あの場所で一度全てをさらけ出して改めたつもりだったけれど、いつしか偽りの殻を身にまとって生きていた。 あの場所を原点にして自分自身だと思い込んでいたものも、結局は幻想でしかなくて、口先も軽ければ中身は薄く。自尊の欲求。 追うようにして、かつての学び舎で鮮明に蘇る心地良い日々、あぁ.....!!

 卒業式の舞台に立つことが許された。大学生活も心地よいものだった。自尊の11年間、実に後ろめたい。

 ソフトウェアに完成はなく、また旅も然り。その旅の恥もかき捨て、恒に未熟者として生きてゆかん。ありがとう、そして、さらば自尊の学生生活。

No.27 [2013.03.07] 九州カブ野宿旅を経て

 電池残量を気にせず電気をつけられて、

 寝床の有無を心配することもなく、

 トイレを我慢することもなく。

 風は入ってこない。床は熱を奪わない。

 足は冷たくならない。音を気にすることもない。

 机はあって、布団はふかふかで、

 めいっぱい足を伸ばせて、

 時間を気にすることもない。

 朝にはご飯を用意してもらえて、起こしてもらえて、

 そんな家族が一緒に居て。

 この幸せに、そしてこの旅に感謝している。

2012年11月

No.26 [2012.11.02] シニフィエ・シニフィアン

 巷のテレビ番組では漢字検定1級所有を謳ってタレントが知識を競い合い、それに影響を受けたのか漢検を受けると言って机にかじりつく妹。 はて、日本人はどれほどの記号を覚えれば気が済むのでしょう。

 研究の一環として拵えることにしたプログラミング言語に愛称を付けようと、「シナプス」だの「毛細血管」だの、センスの無さを発揮していたのですが、 さすがに「毛細血管」はややグロテスクではありませんか。音の印象だけでも和らげようと思って、英訳を調べてみれば「Capillary」と言うらしく。
 この「毛細血管」と「Capillary」という言葉について思ったことがあります。 前者は文字自体が表現する意味(情報量)が多く、その4文字だけで大方の想像が付きましょう。 が、後者は文字単体よりもその連なり(綴り)に意味を持たせているため、つまり単語を丸々覚えるかその派生元の単語を知らなければ想像も付きません。 そんな、性能の高い記号(情報量の多い記号)である「漢字」をとかく頭に叩き込んで育ったわけですが、それで良かったのかなと思い返してみたり。

 学生時分、覚えることばかりに執着していたやに思うのですが、それは頭の柔らかい時期にすべきことだったのでしょうか。 もちろん、アルファベットを用いる文化圏でも「覚えること」は沢山あるはずですが、上に述べた通りその覚え方には明らかな違いがあります。 1記号に対して意味を付すか、記号の連なりに対して意味を付すか。一個体に執着するか、関係に意味を見出すか。 この違いが、日本のオブジェクト指向浸透を阻む一因だったのかもしれません。

 アルファベットや仮名文字も何かしらの「意味」を表現しているでしょうが、漢字はその「意味」の量が多すぎるように思うのです。 積極的に言えば、1文字の持つべき情報量を超えているのではないか、 記号の種類を増やしたとて事象の全てを表現できるわけではないのだから1文字に執着せずとも、と。 ガジェットを増やしたとて事象の全てに対応できるわけではないのだから一個体に執着せずとも、と。

No Silver Bullet.(銀の弾などない)[1]

 1文字を1記号として見るか、1単語を1記号として見るか ── 確かに粒度の問題だと思いますが、言語構造の違いに思考・行動の違いを垣間見ることもできよう、という雑感をつらつらと書き認めたのでした。


[1] No Silver Bullet - Essence and Accidents of Software Engineering (by Frederick P. Brooks, Jr.)

2012年10月

No.25 [2012.10.19] とめどなく明後日ばかり

 逃げたいけど逃げたら負けやし嫌や。とか感じてる自分って器小さすぎやろ大らかに受け止めろよ。とか思うのは現実から目を逸らしてるだけじゃね逃げてんじゃん。 じゃあどうすりゃ良いんだいってそんなの答えは風の中。って具合に厨二って気が済むわけもなく近頃ぐるぐるしているのですが、 大いに勘違いしている部分があって終了条件に引っかからないでいます。 (褒められて履き違えた「楽しさ」。そんなのモノづくりの楽しさじゃない。) 心地良い無限ループにいつまで居んねんと言われた気がして、嫌な方向に逃げなきゃなって思いましたとさ。また言うだけ言ってみる。

 で、ここまで書いてお風呂に入ったらばスッキリしたので、上のことはまたいずれ。 一つ思ったことがあって、「◯◯しよう」とか「◯◯せねば」とか「◯◯します」とか未来形ばっかり夢ばっかり、そりゃ相手にもされない。 少しは過去形で言えよ経験を語れよって。やってから言えよって、やれよって。 そんなふうに思ったのでし。(過去形)

No.24 [2012.10.14] 並列プログラミングのススメ

 ある講義にて3回生向けに出された課題があって、その並列プログラミングをしているうちに楽しくて仕方がなくなってしまったので、そのことを書き認めておきます。 プログラミングに興奮を覚えたのも久しぶり。

 そこには演者が4人いて、そのうちの1人が指揮者となり、他の3人に仕事を依頼。 それぞれの演者はそれぞれに演じ、その仕事のログを端末上に出力してくれる ── その様子を眺めていると、本当に演者4人がメモリという舞台の上で同時に生きているんだな、と感じるものです。

 これまで逐次型の処理ばかり実装してきた私も、ある講義で並列プログラミングを書くことになります。 その際は、まだ要領も得ず考え方もままならず...といった具合で、とうとう実装しないままに終わってしまったのです。 そんなこともあって苦手意識を持っていた並列プログラミングだったのですが、今回はある程度の実装にこぎ着けて、その面白さ(これまでにない快感)を享受することができました。

 理論に留まらず、実際に手で作ってみて、その動く姿を見る喜び。しばらくぶりに思い出しました。もっと大学生活を(ものづくりで)楽しめばよかった。 残す5ヶ月で何かしたいなぁ...。

No.23 [2012.10.07] 夢中を経て

(とりとめのない恥ずかしいことを書きます。)

 久方ぶりの再会だった。いつもの容姿と不思議な笑顔で。でも、きっと今のあの人の姿とはまるで違うんだろうなって。 いつまでも美しいもの(幻想)に成長も何もなくて。「影で見守ることができるならそれで」と言って逃げた卑怯者の至る処。 僕の世界にあの人がいても、あの人の世界に僕はいない。得も言われぬ虚無感。

 誰の世界にも僕がいないなんて淋しい。ぼっちは嫌だ。だから僕は誰かから認知されたい。 だから誰かに宛ててアウトプットし続けたい。評価されたい。評価されることは、相手の世界に僕が登場したという証だから。

 でも、かの友人はそうでない。あの人の世界に居ることが許されるならばそれだけでって。 僕は欲張ってあらゆる人の世界に居たがっている。切られるのが怖いから。 たった1人のあの人の世界にしか居なかったら、いつ切られて独りになるかわかりゃしないって。 人間に対して機能安全を求めているというか、僕は臆病なのだ。

 ただ、問題の本質はそんなことじゃなくて。 僕の問題点は、認知されることを目的として行動していること。中身が無い。 先行すべきものを蔑ろにして玄関口だけ作ってる。そんな玄関に入ってもみんなすぐに帰っちゃうのに。

 スタンスを変えよう。誰の世界にも居ないかもしれない、ということを悟って我武者となろう。 きっと、本来自分が望んできたことも自然に実現されるはずだから。 「c」の一文字を打たねば世の中に出ることもない。しばし、自分の世界だけで夢中になってみる。高校生時分にそうだったように。

 「自分の世界だけで夢中になる」という思考行為と、「実際の世に晒してみる」という試行行為。 以前、備忘録に書いた「思考実験 - 思考と試行」は、自身の頭中で完結する話だったけども、それを頭外に持っていけば...。 世に垂れ流すばかりで頭が回らないというなら、しばらく籠って考えて(動いて)みるべし。

 短期リリースは「思考と試行」を使いわけることができる者にのみ意義がある。 至らぬ者には諸刃でしか無く、使えば自傷しかねない。まずは己を知りやがれってば。

No.22 [2012.10.01] 浮気者

 師と共に名古屋へ赴き、随分と良い経験をさせていただいたにも関わらず、翌日の日曜日はいつもに増して集中力散漫で無駄な一日にしてしまいました。 「集中しなければならない」と言葉ではわかっているのですが、どうして、どうして集中できないのか。夜な夜な悩んでおりました。

 とかく周りには物が溢れている。それに気が遷るために見るべきものを見失う。なんだ、自分は浮気者だったのか、と。

集中とは、その対象に意識を注ごうとすることではなく、無関係のことを意識の視野から意識的に排斥することである。

 敵を知らずして、どうして敵を静止できましょう。敵など居ない、と理想郷(夢)を描いたとて、敵(邪念)は襲い掛かってきます。 他のものを忘れようとするのではなく、他のものの存在を認知しつつその存在を意識的に排除しなければなりません。存在を認知していないものが不意に意識下にやってくるのですから。

 人間は高々シングルコアですし、いつも何か一つのことに集中しています。問題なのは、その集中の対象をコロコロ変えてしまう癖。 「集中できない」のではなく「集中する対象を一つに絞ることができない」のでした。 (集中できる人にとっては、おそらくアタリマエのことなのかもしれない。)

とりあえず今月の戒めとします。

2012年09月

No.21 [2012.09.28] 若き日の眼に入るもの

 幼少期に愛用していた三輪車を処分するときがようやく訪れたようです。亡き祖父が買い与えてくれた三輪車との別れを惜しみ、今朝はその記念撮影に耽っていました。 黄色いホイール部分にある窪みに指を引っ掛けて回して、かき氷屋の真似事をしたものだなと、昔のことを思い出します。

亡き祖父からの三輪車 かき氷屋を真似して遊んだ車輪 三輪車 さらば三輪車

 今思うと、この三輪車は自身の「機械好き」の原点だったなと。ディスプレイ部分のデザインとハンドル部のスイッチに、幼い頃の自分がどれほどワクワクさせられたことか。 デザインの為せる業というか。

 奇遇にも、今日の研究室で師と交わした話もその類で、幼少期に親がどれほど本を読み聞かせるかが、子の活字慣れに相関するのだとか。 つまりは変身できるか否か。その世界に入り込んだ存在になりきれるか否かが、読書の好嫌に作用するようです。 専ら写真図鑑ばかりに魅入っていた私が変身できるわけもなく、無念ったら...。(代わりに写真を撮るようになったのかもね、ならば、ある種その能力を活かすべきだよね、とも。)

私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する。 ── ウィトゲンシュタイン

 趣味も、研究も、性格も、思考(言葉)も、プログラムも、自分が触れてきたものの上にしか成り立たないのだと改めて実感させられて。 そのことを踏まえて、今日からはちゃんと自分のできることをやろうか、世界を広げたいじゃない、と思ったのでした。 目指せジェネラリスト...じゃないですが、分野の壁を超えて学び取れる、そんな大きな器を持ちたいものです。

 今できることをやらずして、何のために息をしてるんだって。Facebookの記事も、友人の一言も、何もかも自分を励ましてくれるじゃないですか。恵まれてら。 ほら「できること」しますか!

No.20 [2012.09.07] 考える消費者 ── 受動から能動へ

(2012.09.28:加筆修正)

 文句があるなら言うのが良い。言わねば進化の芽を摘みかねない。 文句といえば響きが悪いが、それを「意見」とするならば、その「意見」を表出できるのはその立場にいる当事者にしかできない。 商品を使用する消費者が意見をせずに誰が意見できよう。当然のことだが、商品の改善のヒントは消費者自身が持っている。 これだけインターネットの普及でコミュニケーションが容易くなったというのに、どうにも仕組みを活かしきれていない感じがしてならない。 企業サイトは未だにアウトプット型の一方通行が基本で、その逆方向があるにせよ「お問い合わせはこちら」のページで良いところ。 それは一方通行の道が塀を挟んで逆走しているに過ぎない。いかんせんお粗末なのである。 本来のコミュニケーションに道を隔てる塀は有害である。

 そういえば最近、企業がSNSを活用し始めたのは、まさにこの問題に対処しようとするからではないか。 そうしたSNSに留めるのではなく、あわよくば自社サイトにも「コミュニケーション」が拡充されるべきだと考える。それを標準とすべき、とも。 それはウェブサイトに限らず、実体(企業そのものと消費者そのもの)にも言えること。どうして日頃の人間同士のやり取りを、コンピュータ上や企業-消費者間で実現していないのか。 (遠いんだよね... いや、だから情報技術を活用せぃって話で。)

 静的なウェブサイトはもう時代遅れである。コミュニケーションを包含するという意味で動的なウェブサイトにすべきだ。 あっ、現在のこのサイトは静的だ... そのうち少しでも動的にせねば。

No.19 [2012.09.06] 知りすぎると

 自分にとっての未踏の地は、何か落ち着かない心持ちにさせるものがあります。その不安定さも旅の良さの一つかなと思うのですが、 あらゆる土地を踏んでしまったらどうなるんだろう、と、友人のつぶやきに連想して思ったのでした。 そして、それはスパゲッティにしてもプログラミングにしてもきっと同じ。 良いスパゲッティを知ってしまうと、そうでない普通のスパゲッティには満足できなくなってしまうものです。 師が良いお酒以外を飲まないと仰るのも理解できるようになりました。 しかし、これはこれで弊害とも言えるな、と。

 小さな幸せに満足できなくなってしまう、とも考えられなくはないでしょうか。 いや、それは安住か。そうか、また伽藍か。 知りすぎると言っても知り尽くすわけではなく。大方この世に尽きるものもなく。 簡単に俯瞰した気になれば、また大文字の御殿前に同じ。案ずることなかれ、私たちは求め続けて良いのです。

No.18 [2012.09.03] 錆びた包丁

 職人たるもの、道具のメンテナンスを怠ってはならない...ということを戒めるフレーズです。 プロの料理人がお客をもてなす際に、錆びた包丁や消毒していない包丁を用いるだろうか、いやそんなはずはない、という話です。 日々使う道具(包丁・コンピュータ・筆・身体、etc...)のメンテナンスを欠かさぬこと!

No.17 [2012.09.02] 慣れと飽きの必要性

 以前の日誌で「嫉妬すべし!」という旨の記事を書き認めたのですが、その記事を読み返して思ったのが「慣れと飽きの必要性」です。 突き詰めると、人間はおそらく本能的に模倣をして、その模倣が完成することに快感を得るのだと思います。そして、いずれは模倣に飽きて、 何か自分なりの工夫だとかを施すのだと。そのちょっとした工夫がその人自身の成長であるとともに、文明発展の最小単位なんだろうな、と思ったのでした。

No.16 [2012.09.01] 幸にして不幸な物資充実生活(伽藍とバザール)

 最近、ティッシュペーパー代わりに用いていたトイレットペーパーを切らしてしまいました。 それを見て「補充しなきゃな」と思ったのは良いのですが、その補充先は家中のストック。 ストックがあれば便利ですが、本当にそれで良いのだろうか...と疑問に感じたのでした。

 ストックなどしているから家中で全てのことが済んでしまって、家中で済んでしまうからこそ外(行動)に出ない。 伽藍を建てる者が行動力(機動性)に欠ける理由は、まさに「備え」で得られる「安心」による「怠惰」なのだな、と。 家中になんでも揃っているから、いつでもできる。ゆえに今じゃなくてもいいや、と考えてしまうのですね。 数カ月後には伽藍での生活が待っているのですが、はたして、やっていけるのかどうか。。。

2012年08月

No.15 [2012.08.31] HTML

 研究関連のことをウェブページとしてまとめていた時のこと。ただひたすら冗長に記事を書きなぐっている中で、 「結局は頭中で混沌としている『考え』に構造を与える行為が、まさにHTML文書作成なのだ」と気付いたのでした。

 そんなことを考えたことなどなかったのですが、気付いてみると確かに自分の作ったウェブページはどれもそうでした。 書き始める前には自身でもよくまとまっていなかったものが、書き終えた時には整理がついて見通しが効くようになったり。 ゆえにノートテイクの代替としてウェブページを拵えてきたようです。ノートとは違って「切り貼りによる整理」も可能ですしね。

 私は、ノートテイクが随分苦手です。ひょっとすると、切り貼りの整理に慣れてしまったがために、その能力が失せてしまったのやもしれません。 むしろ頭の中でHTMLを書きゃ良いのか...なんて思ったりして。そんなメモリがあったら苦労しないって。。。

No.14 [2012.08.30] 雨合羽事件に見る「母」という存在

 安物の雨合羽を使う私を心配して、母は新しい雨合羽を買ってきてくれました。 今使っているものに比べて上等で高性能な製品なのですが、ただひとつ、サイズが合わないという問題が。

「身長が伸びた時のために大きいのを買っておく」という精神が未だに続いているのでしょうか、それにしても、160cmの中盤という小柄な体格に「3L」は無理があります。。。 気を遣って良い物を手配してくれたことも、またその気持ち自体も、とてもありがたいことですし、母にはとても感謝をしています。 しかしながら、その現実離れした感覚にはどうも納得がゆかないのです。この事例に限らず、母の行動は概して現実的でないように見受けられるのです。 (安いからと言って、必要以上の量を購入してストックする、など。結局は使用期限を過ぎてから、使うだの使わないだのと言い出すのです。) そんな姿を見て思った苦言です。

まず、目先の問題に対処できないのに、どうして当分先のことに対処しようとするのだ。

 この苦言を心中に浮かべた時に気付いたのでした。これはまさに今の自分の状態をも言い当てているではないか、と。

 自分が為すべきことも自分のやりたいことも、とかく全て書き出してみて、それらが完遂した時のことを妄想して(=夢を見て)勝手にワクワクしたりするのですが、 第一、今の自分が直面するタスクすらもロクにやりこなすことができない身でありながら、何たる浮かれ具合。母のみならず私こそ現実離れしているではありませんか、情けない。 良からぬこととは言え反面教師として、母はその姿で以って大切なことを諭してくれました。 恥ずかしい気持ちにはなりますが、どうやら父母から教わることは何歳になってもあるようです。母さん、ありがとう。

 幼い子は親の背中を見て「良い手本」として受け止め成長してゆきます。やがて子に自我が芽生え、親のなすことに納得できなくなってしまったら、それはもはや「良い手本」ではなく「悪い手本」 であり。そこに自分なりの解決方法を見出して「自立」する、親の存在を越える... これが「教育」なのだなと感じさせられたのでした。 意義は方向を示すことにあり、到達地点を示すことに非ず。即ち教鞭を執る者を超えさせて初めて、教育の成果と言えるのです。

 そんなことを言いつつ、また目先の問題を放って日記など書き認めている小生でございました。いやいや、進歩するのはこれから...(

No.13 [2012.08.29] 抽象構造(インヘリタンス)の昇り降り

 よく、細かな技術や知識に拘る人がいます。かく言う私もその中に含まれるのですが、そうした集中的な視点(一人称視点)で居るとどうしても、自分が今どこにいるかを把握できないものです。 自分の目の前に転がっている問題を解決するだけであれば、当座の技術・知識だけで事足りるのですが、いざ、他の分野で活かそうとすると、途端に歯が立たなくなります。 それら技術・知識に関するメタな視点(より抽象的に捉えた視点)を持つことで初めて、他の分野に活かせるような別視点を得ることができるのです。(インヘリタンスの昇り降りとも。)

 非常に簡単な例を挙げれば「木ねじ」はどうでしょう。多くの木ねじは時計回りに回転させることで、より締め付けることができますね。この知識を抽象化して「時計回りで締め付ける」と考えると、 それはペットボトルのキャップにも、蛇口の取っ手にも同じ事が言えます。
 それがどうした、という話なのですが、これがまさに抽象構造(インヘリタンス)の昇り降りなのです。「木ねじ」という具体例から抽象化(上昇)して「時計回りで締め付け」に注目し、 次に別の例に具体化(下降)して「ペットボトルのキャップ」だの「蛇口の取っ手」などに至るのです。 木ねじに言える問題点があれば、それはペットボトルキャップにも、蛇口の取っ手にも同じ事が言えるかも知れない...という、別分野からの新たな視点を取り込むことができるのです。

時計回りで締め付ける「木ねじ」「ペットボトルのキャップ」「蛇口の取っ手」のクラス図

 特研研究II 座学[2012.07.11]の中の「シンプルな設計」という項目を書いていたとき、 書いてはみたものの趣旨が違うやんっ...orz と気付いて、でも、せっかく書いたのだから消すのは勿体ないなぁ...と思って、ここに持ってきたのでした。いきなりオブジェクト指向のお話でした。

No.12 [2012.08.24] 小さな大文字

 軽足を手に入れて調子に乗ったがために学生生活最後の貴重な「五山の送り火」を台無しにしてしまった私ですが、 この度運良く友人の誘いを得て如意ヶ嶽(右大文字の山)に登山することになったのです。といいましょうか、本日夕刻に登って参りました。

 先の日記で述べた飲み会のメンバーからいきなり声をかけられ、 このクソ暑い時季に誰が山登りなんか...とは思わなかったものか、酔った勢いで快諾してしまったのがこの「大文字登山」のお話。 確かに家に引き篭もることに比ぶれば幾段か良い気はしますが、普段ろくに運動もしない身でありながら無責任な応答をしてしまった、 と当日になって反省したものです。時は既に満ちておりましたが...。

 物書きのその友人の都合では、夕暮れから夜にかけての景色を眺めてインスピレーションを得たいとのこと。 当日心配された悪天候には免れ、代わりに容赦無い京都の西日を受けつつ息を切らしつつ、着々と登り進めたのでした。

良くも悪くも日差しあり 目指す処へ歩みを進める 辿り着いた目的地

 水分補給で一度休み、他はひたすら歩いて30分。ちょうど「大」の文字の一画目の始まりに位置する処へ出て、目の前には京都の街並みが現れました。

大文字山から眺める京都の街並み 上から見下ろす京都タワー

 今夏の送り火で受けた雪辱もあってか、感無量。この景色を目の当たりにして言葉を失います。 しばらくして法螺貝の音が聞こえたと思うと二方の修行僧がお越しになって、「大」の中央に位置するお堂で読経を始められたではありませんか。 その経が織りなす不思議な空間の中で、かの西の国に何があろうかなどと思いながら、沈みゆく陽をただ見つめていました。

大文字山からの京都の街並み(18時30分頃) 大文字山からの京都の街並み(19時10分頃)

 どこぞのサルのような、まるで本能むき出しの縄張り争いが目に付く昨今ですが、どうにも見苦しく感じてなりません。 もちろん一人称で見たらば重大なことかもしれませんが、大きなものを背負う彼らが一人称視点でやりとりを継続しているようではマズイような気がします。私だけでしょうか。 一体、彼らは山に登ったことがあるでしょうか。それぞれの大こく柱としてあまりに情けないではありませんか...。

 ...などと思いつつ、また愚かしいことを思ってしまったと反省をしたものです。
毎日、盆地の底に暮らし、やい「坂が辛い」だの「道に迷った」だのツベコベと、狭い視野で以って生きているのですが、 ふと大文字山に登ってその暮らしを俯瞰してみると、一人称の世界など微塵の溜まり場でしかないのだと実感させられるものです。 そこで少し良い気になって、やい「見ているものが小さい」だの「本能むき出しのサルではないか」などと、広がったつもりの視点(三人称視点と言う名の一人称視点)で以って述べている自分、あまりに情けないではありませんか...。

 弘法大師のお堂の目の前で虚勢を張っていてはなりません。そこはまだ「大」の字の中央。さらに上には続きがあるのです。 「上には上がいる」という言葉について帰納的に考えれば至極当然の話なのですが、些かに気付かず、さも新しい発見のように繰り返す日々。実に愚かしい。

 人間社会は本能的な人間に理性を与えましたが、本能的な人間社会には誰が理性を与えてくれるのでしょう。 銀の弾丸は存在しないものでしょうか。

No.11 [2012.08.23] 磨くか磨かぬか泥団子

 約1年ほど会っていなかった中学生時代の友人。今日はその友人を中心とする4人で飲みに行き、色々なことを聞いて話したのでした。 そんな今日は自分を変えたいなと思える一日になりました。もっと批判に寛大であれと。

やっぱり羞恥心があって(批判されるのが怖くて)思ったことも言いたいことも伏せたり誤魔化したりして逃げているんだけど、 結局何のためにそうしてきたのかよくわからなくなりました。とても良い変化だと思っています。

「これを言えば相手を傷つけるかもしれない」って恐れることはもちろん誰にでもあるけど、 傷つけてでも言う価値があるなら言った方が良いし、それほどの価値がないなら言わなければ良いし。 その価値の有無を見極める基準こそがつまり、その人自身の価値観なんだろうけど、 今まではその判断を放棄して責任逃れをしてきたわけです。 そりゃ怒られるのは嫌だし責任からは逃れたいけど、そうやって逃げてたら、 何にも関与しない面白みのない世界しか無いんだなって。 ちゃんと自分の価値観を提示して世界に関与している人が本当に輝いて見えて、そう思ったのでした。自分もあんな人になりたい。

磨かずに輝く泥団子なんてきっと無くて、輝きたければ努力するしかないようです。 まずは恥ずかしいって思う気持ちを抑えてみようかなと。自己抑制を抑制するだけだから、コツがわかればきっと楽にできるはず。 師にはいつも言われていたけど、今日はとても良い実例を垣間見たことで有意義な刺激を受けました。

「恥ずかしい」ってなんだ。
もっと「恥ずかしい」を捨てて(つまり皆んなが言ってくれるように、もっと自信を持って) もっと変わっていきたいなと思いました。このままでいることが一番恥ずかしいのだから!

西賀茂の飲み屋「ほげつ」にて 西賀茂の飲み屋「ほげつ」にて

とかく飲み会に参加してくれた皆さん本当にありがとう。

No.10 [2012.08.11] 隠喩と括り出しと忍耐力と低空飛行

 今日もまた断片を晒します。

「勉強する」というのは、
 「本の内容を頭に叩き込むこと」ではなく、
  「本の目次を理解できるようになること」である。

 たしか、大学2年の時に誰かからか耳にしたこと。キーから値を連想する力を養うのが勉強だと。本を読んでいてふと思い出したので、大したことでもないですが書き出しておきました。 結局、レトリック感覚を養わざるを得ないのです。とかく隠喩に弱い。 独りよがりで作ろうなんてこと(直喩)ばっかりしてるから。先人の作ったもの(隠喩)を上手に使ってナンボだってのに。。。 先人が築きあげてきた資産をどうして援用しないと。さもなくば覇道もいいところ。(師曰く、研究の手詰まりもそのためでは、と。そうですよね、目の前に良い例があるというのに...。)

 最初から全てを包含するようなもの(抽象物)を生み出せるはずがない。
  何か一つ具体例を作ってみる。またもう一つ具体例を作ってみる。
   それら複数の具体例の共通部分を見つけようとするからこそ抽象クラスが生まれるのであり、
    最初から抽象クラスを生み出そうとするのは、
     まるで金メダル欲しさにそれを鋳造するようなもの。

 酷い喩えはともかく、正しい文脈があってこその価値だということ。現在、理解と行動が一致しないので、戒めの意味を込めてとりあえず書き出しておきます。 そう言いながら、この発言本位に行動したとすれば、それもまた同じ事なのですが... むむむ。(また答えを求めようとしている...良いのか...良いか...。)

 もうひとつ戯言を。今の私には「忍耐力」がありません。無さすぎ。逃げるなって。( )

 さらにひとつ。あまり低空飛行をしなさんな、と。随分な欠点らしいのです。主観を脱していない証拠。( )

2012年07月

No.9 [2012.07.30] 思いと動きが繋がらない ── 嫉妬のススメ

 どんなことでも良いのですが、昔を思い返してみると、その頃の自分のほうが良く出来ていたように感じることがあります。高校生時分までは「実装してナンボ」という心持ちで、ひたすらガリガリとプログラミングに走っていました。 中学生時代も電子工作にお小遣いを費やしたり、それ以前は何かしらの廃材で自分なりの玩具を作ったり。頭を使う前に、とかく実装ばかり。

 大学で学ぶにつれ、どうしてか実装力・実現力が衰えだします。随分と理論寄りになってしまったのでしょう。 多少の思考を巡らせて、すべきことが多少わかるようになっただけでも随分良くはなりましたが、どうしてもその思いと体の動きが繋がらない... あれだけ実用指向だったものが、どうして「実」の付くことに従事できなくなってしまったのか... 一体何がクラッチを踏んでいるのやら。

 誰か教えてください...(知らんがなっ!

 ところで、このサイト「何某日和」は今年の6月から始動したのですが、個人的には良いペースで更新できているように感じています。 大学生活の中では比較的アウトプットの多い2ヶ月になりました。はて、この活動を始動させたあの日あの時の前後で、自分の何が変わったのでしょう。 時間的な余裕の有無も大切な条件ではありますが、時間があれど動いてこなかった私には無関係です。 また、大学生活の原動力だった(課題という名の)義務が働いたわけでもなく、個人的な意思で動き始めたものです。 どうしてその個人的な意思(原動力)が生じたのでしょうか。

 一つ思い当たるのが「嫉妬心」です。ちょうど、同じ研究室のメンバーがウェブページを拵え始めて、その行動に感心しつつ、かつ(自分が為していないことゆえに)嫉妬心も湧き上がったのだと思います。 メンバーに負けじと意識して取り組んだ...とは言いませんが、無意識下でも嫉妬心が作用していたことは確かです。 「うわっ...あの人はこんなウェブサイト作ってたのか...ええなぁ...」という具合に芽生えた嫉妬心が、私の原動力になったのでしょう。

 高校時代からの付き合いで、今でも互いに切磋琢磨する仲の友人がいます。 「互いに互いの良い所を見て、それに負けじと励んで成長する」という切磋琢磨ですが、蓋を返してみれば、これもまた相互に「嫉妬」を繰り返しているようなものです。 「相手はあんなことしている、負けてたまるか...」という気持ちを気概として、さらに自身に磨きを掛けるのです。そんな意味で非常に良い関係を築けたと思います。 (友人さん、私の思い上がりだったらゴメンナサイ。。。)

 結局「嫉妬心が湧くと行動に移せる」という実例を既に幾つか知っていたようです。あとはこの例を活かすのみ...と思いきや、時に例外も。 嫉妬の対象が、自分の立ち位置と乖離している場合、嫉妬を通り越して開き直りに至ってしまうということもあり得ます。 今日の日誌を書きながら思ったことですが、今はその「開き直り」の状態であるがゆえに身動きが取れないのです。 日々、様々なことをしっかりと出力するその友人は、今の私にとって高いハードルであり、クラッチを繋ぐ勇気が出せない存在だったのですね。

 つまり自分の嫉妬の対象(目標の対象、目指すもの)は、まず自分に近いものからにしておいたほうが良い、ということです。考えてみれば、何をするにもそうですもんね。 No.6の振り子の話で言えば「振り子を12時の角度から落としたって振り子運動しない」ようなもの。 いずれその友人も射程圏内(3時から9時の範囲)になるように、また別ルートの嫉妬の旅を始めようと思います。

 何やらあまりに単純なところに辿り着いて、とても情けないのですが、今のうちに気付けて良かった...ということにして、 これからは開き直らない程度に嫉妬することとします。日々嫉妬!(=日々、適度な目標を持て!)

No.8 [2012.07.25] 送電線やその鉄塔・工場・廃屋に感じる魅力

鉄骨むき出しの工場 雑多なコンテナヤード 美しい曲線を描くジェットコースター 鉄骨むき出しの送電線鉄塔

 骨格むき出しの送電線鉄塔や、配管むき出しの工場を見て、何かしらの魅力を感じる友人がいましたが、その魅力が今までよくわかりませんでした。 しかしながら、東京から京都へ向かう昼行バスの車窓からそれらを眺めていると、「確かに魅力があるなぁ」と感じました。もちろん、その友人と同じ視点かどうかはわかりませんが。 (というか、そいういう「魅力」ちうものは、言葉にして残すものではないような気もしますが...そこは目を瞑って下さい...)

 ゴツゴツとして人を寄せ付けないような顔を見せながら、実はその飾り気のないありのままの素形をさらけ出している、そんな無防備さに感じる親近感。 また、その複雑な構造を見て「ぎょっ」として、無意識下で「人間の為せる業ではない...」と感じて、つまり自身の想像の域を超えた瞬間に至る神秘。 そして、どこまでも連なる送電線に流れる電気の、その電気が送られる住まいの、その住まいに暮らす人間の、壮大な繋がり、そのロマン。 こんな面白いもんが至るところに建っていたのかと思うと、もう泣けてきますね、テーマパーク顔負けの大サービスじゃないですかっ!!(ぇ

 実際、そこまでは感じませんが、あの無機質な建造物にも面白い見方があるものですね。廃屋もまた同じように。

 廃屋。かつて使われていた建造物の残骸。それはその建造物が生きた歴史であり、生きた証であり。 そして、「生きた」ということは「死んだ」ということであり、「生きる」ことは「死ぬ」ことであり。
その廃屋は、自らの死を以って、自らの生を証明して見せてくれているのやもしれません。「生きるということは、こういうことなのだ」と言わんばかりの姿ではありませんか。 どうりで強烈な存在感を帯びているわけです。

 許されるならば、私もあの廃屋のような生き方をしたい... せっかく生を受けた身、自分の生きた証を残したいものです。だからこそ、生きている今のうちに生み出すべくものを生み出さねば。

死ぬこと = 生きてきたことを証明すること
     = 何かを生み出して残すこと
     = 生きること

 実は趣味の写真撮影にも少し関連しています。これまでに撮影してきた写真は、まさに自分の生きてきた時系列順の軌跡、つまり生きてきた証拠に他なりません。 なので、データの消失ほど恐ろしいものはありません。自分の生きてきたその証拠が消えてしまうのですから。(ゆえに3重のバックアップを...) そんな風に、私は過去に縛られながら生きているのですね(ぇ

 とかく、何気ない建物一つにも、また建物でもない何かあるモノにも、面白い・危ない・意味不明な視点が隠れているやもしれません。 長時間移動の車窓を通して、普段の生活には現れない視座を吸収するのも一興ですね。

No.7 [2012.07.22] 生意気なこと ── 会社たるもの

 世の中に存在するあらゆる企業は、その始めに誰かの手によって創設され、今に至るのです。つまるところ、会社・企業などというものは、所詮、我々人間が生み出したもの。 「うちの会社はブラックだ」と言って、嘆いて逃げゆくのではなしに、「どうせ人間が生み出したものだ、どうにでもなる。今がブラックなら、自分たちの手でホワイトにしてやれば良い」と考えるべきだと思います。
このことを各方面の人事関係者方の前で発言する機会を得ることができ、実際に申し述べたことがあります。(つい一昨日です。) 相手にしているのは会社勤めを長く経験してこられたベテランの方ばかり。多くの方からご叱責を受けるかもしれないと覚悟していたのですが、ある企業の人事担当の方からは励ましの言葉を賜りました。

「会社というものは、新入社員も含めて全社員で作り上げるもの。最初から諦めて受け身でかかるのではなく、先の『変えてやる』というスタンスを持つことは大変に良いことだと私も思います。」

 私は大変に大きな勇気を頂戴しました。 学生ならではの「泥臭さの無い純粋な気持ち」は誰しも持っている(いた)はずですが、「理不尽な社会」に殺されてしまえば、その澄み切った心を取り戻すことは容易ではありません。 (このような言い方は失礼ですが)そのような「理不尽な社会」で勤めてこられた方が共感してくださるとは思ってもいませんでした。 こんな風に、若き日の視点(初心・志)を前向きに汲むことのできるような社会人でありたいものです。 そして、将来会社勤めを始めて困難が訪れた際に「立ち返る場所」として、この外在化を活用できればと思います。

 「初心の外在化」という名の下に、随分と生意気なことを申し上げました。学生の戯言とは言え、失礼を致しました。

No.6 [2012.07.20] 超特急に乗って&産業【むすびわざ】&人事部の方と

 今日もまた断片的な徒然を記すこととします。
 最近、諸用で新幹線を利用する機会があり、京都から名古屋までの約30分と少しの間、快適な移動を楽しんでいました。 しばらく走行していると、列車同士のスレ違いで「ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン...」という風を切る音が小刻みに聞こえてきたわけです。 それも1秒間に5回ほど「ヒュン」と聞こえるものですから、新幹線の速さを身を以て実感したのでした。 さて、1回の「ヒュン」で車両1両分のすれ違いが起こったということです。1両につき13×5=65席あって、それが1秒間に5両すれ違う...満員列車なら1秒で325人とすれ違うことになります。 これが正面衝突などしようものなら、と考えてみると、自分の乗車している新幹線が、いかに人間の想像を超えているかがわかります。

 これって「超えちゃいけない一線」ってやつじゃないの...?

...などと思ってしまったり。ですが、世の中にはそんなことが沢山あって、あってこそ今の生活が成り立っているのですよね。自分たちの生活基盤の何と恐ろしいものか。


 その機会というのも大学主催の行事で、人の前で話をしたり、人から話を聞いたり、といったことがメインとなる行事でした。 その中で、ある人が挨拶で我が大学の名称の一部である「産業」という言葉について説いていました。

「私たちの大学名の中で使われている『産業』とは、Industryのことではなく『むすびわざ』という意味を持ちます。」

 そんな意味合ったのか...と感じた学生は私だけ...?自分の大学の名称にちょっと誇りを持った瞬間でした。


 さて、その行事では企業の人事部の方とお話する機会があったわけですが、やはり様々な方と話を交えるというのは楽しいもので、皆さん面白いネタをお持ちでした。 「難が有る」ことに「有難う」と表現した先人の偉大さについてとか、努力とやりがいを振り子に例えて「円運動にしたいですよね」と言って話が盛り上がったりとか、 「モノ作り」というキーワードを通じて思わず意気投合してしまったりとか。...勿論、本題の就職活動に関する内容もお話しました。

 学生側(というか私)の意見として「学生の交通費負担について配慮してほしい」「テンプレートでも良いので不合格通知を出して欲しい」という旨を申し述べたのですが、 反論ではありませんが、その返しとして企業さん側から「説明会や選考のドタキャン(特に無断欠席)は、本当にやめて欲しい...」という意見を頂戴しました。それも、切実な表情を伴って。
就活の説明会・選考の予約について、ネット上の予約画面に満席と書かれていても、それでも「満席のところをどうにか...」と電話で予約申込みを願い出る学生は居るらしく、 採用担当としても学生に来てもらいたいとは思いつつ、やはり会場の制限もあって断らざるを得ないのだとか。 ところが、いざ説明会を催してみると、予約者のうちの1割から3割の学生が欠席するらしいのです。 そうなると「あの時に電話をくれたあの学生さんに来てもらえたのに...」という悔いが生じて非常につらい...と仰っていました。

 事情で止むを得ず欠席をするのは仕方がないにせよ、必ず事前に連絡を入れ、間違っても「無断欠席」は絶対に避けたいものです。

 雑多ながらも吸収の多い催しで、学生の身としては大変貴重な体験をすることができました。特に、これまでの「面接官と就活生」という立場から「社会人と学生」という立場になったことで、 より率直な意見交換を行うことができたと感じています。(学生側からのアウトプットが多かったようにも思いますが。)関係者の皆様、本当にありがとうございました。

No.5 [2012.07.18] 生ハムメロン

赤肉のメロン

 研究室にメロンがやってきました。初々しい後輩たちを歓迎するためと言って、師によって調達された赤肉のメロン。その高級感溢れる上品な紋様に包まれた珠玉を見れば、唾液腺が弛緩するのも仕方がありません。 そんなメロンですが、さらに洒落た食べ方があるらしい...その名も、生ハムメロン。 これがまた美味しいらしく、歓迎会を催す前に師より遣いを頼まれて、近所のスーパーへ「生ハム」を買いにゆくこととなったわけです。ちょうど前の日曜日の昼食に、カップラーメンと生ハムのブロック(?!)を食べたので、 「はいはい、アレを買ってきたら良いのね」と思ってジンジャー号を走らせました。3パックほど購入することと伝えられたので、3パックほど握ってレジに向かい、勘定を済ませて大学へ戻って。

 しかしながら、一体どうしたことでしょう...私が買ってきたのは「生ハム」ではなく「ベーコン」だったのです。勿論ふざけていたわけではありませんし、自信満々に3パックを握りしめたのです、が、 それは「生ハム」ではないらしい「ベーコン」だったのです。研究室へ戻るや否や大爆笑されてしまいました...

生ハムは、塩漬け・乾燥のみで燻煙しないハムまたは、燻煙はするが加熱しないハムのことを指す。[1]

 もう「生ハム食べたことある」なんて言えません。。。(結局、3パックのベーコンは師がご自宅で食されるとのことでした。つまり生ハムメロンは実現せず(涙))


[1] 生ハム | Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E3%83%8F%E3%83%A0 (2012.07.22最終閲覧)

No.4 [2012.07.15] 「名称による先入観」による理解の阻害

 わけあって「LL構文解析」と「LR構文解析」を調べていて、それぞれが「トップダウン型構文解析」と「ボトムアップ型構文解析」という部類に属していると知って。 で、問題なのは、こうした名称に囚われてしまうということ。どのような切り口でトップダウンorボトムアップと表現しているのかを知りもせず、 いきなり名称から想像を膨らませて、勝手に先入観を植え付けてしまい、本来の目的である理解を阻害してしまうのです。

 名称というものは、その対象の存在や、存在する空間に対して割り当てられた「識別子」でしかありません。名称本位ではなく、その名称が指し示している対象を本位として議論なりをせねばなりません。 ...ということに気付かずに随分徒労を重ねてしまいました、いと愚かなり...それもまた趣なり。(それ即ち開き直り)

No.3 [2012.07.05?] 蝉の音の...

京都産業大学 第二実験室棟

 日々のホームポジションとする研究室は、京都北山は京産大の第二実験室棟という所にあります。 この屋舎にあるトイレは、ちょうど向かいの山側に窓を設えているのですが、そこから蝉の声が聞こえてくるではありませんか。 特段に意識もしていなかったはずの夏が、鮮明な像となって目前に現れる瞬間です。「あぁ、夏が来たぁぁ...」

 なんだろう、この言葉にしがたい壮大な像は...目前の景色がパアァッと移り変わるこの瞬間を、どうにか言葉にして表現できないか、ほかの誰かに、未来の自分に、言葉で残せないか...。 そう思って「蝉の音の」という言葉を思い浮かべて、俳句か短歌を詠めないだろうかと思考を巡らせたわけです。

 またこの頃は、研究室の先生が和歌山まで出向いて購入する「あらかわの桃」を仕入れてくださる時期。この時期の研究室内は桃の香りに満たされます。 (去年はそんな中で研究室配属されたんだったなぁ、しみじみ。)それも重ねて「桃の味」なんてのも良い一節だなぁ、と。

 そんなこんなで、特に良い句も詠めずに時は流れるのですが、句を詠むことについて少し言及しようかなと。 今回はイメージが先行して「句を詠みたい」と思えたので、トップダウン型詠歌[1]だったわけですが、 もし、そうではない(作ることを目的としているような)無理強いのボトムアップ型詠歌[1]ってどうなんだろう...と思ったのです。 何も詠歌に限らず、どんなものの制作でも同じだと思うのですが、やっぱり意志が先行してナンボでしょう。意志のない制作物に命は吹き込めません。

構築への意志(Will to Construct) ── ルイス・カーン(via 師)

 バンド活動で「オリジナル曲作りたい」という話をするときも同じなのですが、やはり「制作すること」が先走ってしまいます。 伝えたいことあってこその曲作り。現段階での取り組みの姿勢から見れば、机上の空論なんでしょうかね...。


[1] 「トップダウン型詠歌」とか「ボトムアップ型詠歌」とか、そんな言葉はきっとありません。聞いたこともありません。

No.2 [2012.07.03?] 反復表現

 この日誌の冒頭の説明文にある「気の向くまま筆走るまま」という一節。簡単な反復法を用いた表現ですね。繰り返しの表現があると、何やら美しげに見えたりするものですが、それは何故なのでしょうか。 (自身で「美しげに」だなんておこがましいことを述べてスミマセン。あくまで、ものの喩えです...)

 私の所属する研究室では、内輪向けのミニ発表会「パワーランチ」というイベントを催していて、各週に一人が自由なテーマの下にプレゼンテーションを行います。 そのパワーランチにて「レトリック」(反復法、擬人法などの修辞技法の事)についての発表があったこともあり、今日はそうした表現の如何について少し思索します。

 建築物を思い浮かべてみてください。それは西洋でも東洋でも構いません。厳かで神秘的で少し古風な感じのものが良いかもしれません。 その構造物の中に、繰り返しの構造・再帰の構造を見いだす事ができるでしょうか。きっと容易に見つかるはずです、と言えるほどに、繰り返し・再帰の構造は随所に使われています。 寸法を異にしながらも同形の構造物が一様の並びを成す、単純なはずなのに何か神秘的なものを感じさせられる不思議な構造です。
 ロシアのマトリョーシカという人形は入れ子構造(再帰構造)の代表格ですし、神聖な教会の内部の支柱の成す構造や、ステンドグラスそのものも、ある種の繰り返し・再帰構造であることは明らかです。 そこに何を垣間見て神秘を感じるのでしょう。思うに、人は繰り返しや再帰構造の中に「無限遠」を感じるのではありませんか。 「無限遠」という、自分の身体や精神では至ることのできない不可思議な構造に、人は「神秘」を感じるのだと思います。 詐欺まがいなどというと酷く人聞きが悪いですが、お土産の定番マトリョーシカも、どこぞのカトリック教会も、耳について離れないあの名曲(迷曲?)も、 繰り返し・再帰の構造を見せて「無限遠」を暗示することで、神秘的な余韻を与える、そんなレトリック技法(反復法)を用いて人の心を巧みに掴んでいたのですね。

 余白・行間・空間の使い方。そこには具体的な構造物が無いにせよ、無限遠やその類いの「余韻」が暗示的に存在するのです。

 文章においても、絵画においても、ソフトウェア開発においても、何らかのモノ作りに「レトリック」の技法を用いることで、受け取る人に対して「見えないメッセージ」を送ることができる ── 簡単に為せる技ではないと思いますが、ぜひ活用して、誰かの心を掴むような何かを生み出せたら格好良いなと思う今日この頃です。

2012年06月

No.1 [2012.06.10] 蟻を見て思ったこと、徒然。(追記:2012.07.22)

 ふと足下を見て目に入った蟻。せわしく動き回る様子を窺っていると「この蟻は今、何を考えながらウロウロしているのか」などと思って。 でも、こんな小さな筐体で何を考えられるというのだ、神経回路の規模も人間に比べれば非常に小さく、確かに神経伝達のスピードは早いにしろ、大した思考を持たないのではないか、とも思って。 ここでまた、ふと思ったのが「蟻は何故生きているのか」ということ。日々、地を歩き回っているだけのように見えて、そんな蟻の生き方に哀れみを感じました。
 しかしながら随分偉そうな捉え方をしたものです。単に地を歩き回るだけの生き方では哀れだ、と? 何を言うのか、我々人間もさほど大差はありません。 ちょっと思考を巡らせて記録して、何かを作っては「めい」を与えて喜んで。それでも結局は死んでゆくのに。
 少し俯瞰してみれば蟻も人間も構造は同じです。「蟻は何故生きているのか」「人間は何故生きているのか」── むむむ、そもそも何故「何故?」と考えるのでしょう。どうして人は「理由」を考えるのでしょうか。わからないもの・あやふやなものを解き明かそうとする知的好奇心から? そうした事実を知った時に神経が発火してノルアドレナリンが放出される、その快感を得るため? おっと、また理由を模索しているじゃないですか...。

 自分が如何にして「数学」を学んできたのか、少し思い出してみます。 中学三年の頃、平方根という考え方が現れて、意味不明な数字の列を暗記させられて、またその数字列の意味を教わったところで実感も湧かずに「平方根なんて何が楽しいねん」と思ったものです。 ところが高校生になって、さらに一段分階層の違う数学を学んでみると、どうでしょう、平方根のイメージも掴めるようになって、中学生の頃に教わったようにして自分でも人に教えることができて。 不思議なものですよね。昔、自分自身がよくわかっていなかったはずのことを、気がついた時には理解していて、人に説明できるようになっていたりするのです。

 ある疑問が浮上したからと言って、そこから先に進んではならないわけではありません。 その時点でわからない事は一旦片隅に置いて、その先のこと(それまでとは違ったメタな階層・視点)を学ぶうちに、自然な理解が得られる事は往々にしてあります。 壁にぶちあたったところで立ち止まり、思索を巡らせる事も人間として大切な事です。しかし、その目の前のことだけに意識を注いでいると「ミイラ取りがミイラになる」ので、本末転倒ですよね。 「悩んでいる今の自分」を一度見捨てて旅立ち、旅先にて自分殺しを為したとすれば、その昔の自分を振り返って今の自分の手の上に乗せて俯瞰することもできましょう。 それが例え「何故生きているのだ」といった、爆弾のような問いであれ。
 つまるところ、細かい事にこだわるのは、ほどほどに、ちうことですね。

「まずは山頂に登り、周囲の峰々を見渡して、自分の進むべき道を見定めなさい。」── 細事に拘る私に、師より。

(しかし「山頂に登る」ちうにも幾通りかありますね。細かい事に拘らずに上階層まで上り詰めるのか、細かい事をとことんまで追求して境地に至るのか。 自分の現在位置を把握しながら進みなさい、と仰る師ですから、間違いなく前者だとは思いますが。後者もまた道は道。時にはそんな道を歩むことになるやもしれませんよね。)